〒923-1267 石川県能美郡川北町壱ツ屋199 手取川クリニック 産婦人科 麻酔科 Tel.076(277)0100



Since 30/September/2007
written by Canjamille Voyatzky

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2007/10/21

患者さんに教えられたこと、いつまでも忘れ得ない患者さんの話(2)

10年以上前の話である。

その方は、最初の妊娠であった。
妊娠32週か33週頃だったと思う、里帰りで初めて私のもとを受診された。
一見してそれとわかる「アトピー」で皮膚がとても荒れている患者さんであった。
問診で訊ねたところ、妊娠がわかるまではかなりの量のステロイドを服用されていたのだが、
妊娠がわかってから減量したということであった。
いつも通りの健診の風景であった。まず、超音波で診察をした。

だが、それはすぐにわかった。
胎児の心臓の大奇形であった。
紹介状にはもちろん何の記載もなかった。
超音波検査だけでは正確な診断までは不可能であるが、少なくとも生まれたらすぐに生命の危険があることだけは確実に思えた。
ほんの2〜3分前に初めて言葉を交わしたばかりの方である。
通常の出産に胎児が耐えられるかどうかも今の段階ではよくわからない。
この「事実」をこの方にどう伝えたらよいのか、そのことが頭の中を行ったり来たりしながら、カルテに文字を刻んでいた。
しばらく間があった。
すると、その方から聞きたくて仕方がなかったかのように矢継ぎ早に質問があった。
「私、いろいろ聞きたいことがあるんですけど、まず、この病院では自然分娩についてはどういうお考えなんでしょうか。」
「それから、陣痛促進剤なんですけど、私は絶対使って欲しくないので、それでもここで出産させてもらえるんでしょうか。」
「会陰切開なんですけど、ここの病院はどういう方針なんでしょうか。」

お互いが見つめているものの余りの違いに愕然とした。
完全に言葉を失った。
逃げたのかも知れない。
「わかりました。それはまた次にして、もっと大事なお話があるので、
今度、御主人かおかあさんにも一緒に病院に来ていただけないですか。」
そう伝えるのがやっとであった。

何日かしてから、その方は再診に来られた。
「大事な話・・・・・」
すでに何かを察しておられたのかも知れない。
私は、正直に「事実」を話した。
大学病院へ紹介状を書き、後を託した。
心臓の大きな異常の場合、子宮の中にいる胎児を観察するだけでは正確な診断は困難である。
まもなく、その赤ちゃんは生まれた。
大学病院でも治療が難しいということで、小児心臓外科に優れる別の施設へ搬送されることになった。
だが、それを待つ数日の間に、その赤ちゃんはチアノーゼが悪化して亡くなったことを知らされたのである。

そのまま、その方とお会いする機会はなかったが、2年ほどたってからであろうか、不意に外来に来られた。
それは、妊娠8か月ほどだったと思う。
「家族の都合で、ここでは産めないんですけど、その前に一度、先生に診て欲しいと思って。」
うれしかった。
それまでに2度しか顔を合わせたことがない自分を信頼してもらえたことより、
私が言いたかったこと、一番大切なことが何なのかを見つけてもらえたこと、
あの時、自分が本当に伝えたかったこと、言えなかったこと、その気持ちが通じたような気がした。
長い時間、超音波を診た。
「異常ないですよ。」
帰って行かれる時の顔は、2年前に会った時より、ずっと母親になっているように思えた。


2007/10/20

患者さんに教えられたこと、いつまでも忘れ得ない患者さんの話(1)

産婦人科には、明るい話題が似合うのかも知れない。
だが、元気な赤ちゃんが生まれるのとは反対に、悲しみにくれる方もいる。
赤ちゃんは赤ちゃんである。
母親の所有物では決してない。

これからいくつかの実際にあった話を少しずつ書いていこうと思う。
もう、10年も20年も前の話なので、もし、ご本人の目に止まったとしても是非お許しいただきたい。
これらの話は、私の産婦人科医としての人格を形成する上で、大きく影響があったように今でも思う。

まだ、私が医者に成り立ての頃、まだ体外受精などなかった頃の話である。

その方には、お子さんがいなかった。
重症の排卵障害に思えた。
排卵誘発のための注射を1周期に10数回も打ちに来られる生活を、私が医者になる10年以上前からずっと続けておられた。
待ち時間が長い巨大病院で、その10数年の内のいったいどれだけの時間を病院の中で過ごされたのであろうか。
私がその方の診察に関わるようになって、1年か2年が過ぎた頃だった。
その方の年齢は38歳位だったように思う。
「私、もうやめようと思うんですけど。」
絞り出した声のように聞こえた。
それから、3〜4ヶ月たったある日、その方が再度、診察に来られた。
「生理がないんですけど。」
妊娠だった。
不思議だった。
すべてから解放されることで、彼女は妊娠することができたのであった。
今まで、あれだけのことをやっていたのはいったいなんだったのか。
不妊治療と称して、彼女を追い詰め、プレッシャーを与え続け、妊娠させないようにしていただけではなかったのか。
そんな思いが頭をよぎった。
何百回の注射、1000回を超える診察、かかった時間、かかった費用、
この方は、その中で、何度自分の赤ちゃんをその手に抱く夢を見たのであろう。
帝王切開だったかも知れない。
でも、そのことは彼女にとっては大きな問題でなかったと思う。
元気な赤ちゃんだった。

2007/10/19

手取川クリニック 1周年

本日で1周年。
まだまだかなぁ。

2007/10/16

良い医師、良い人、良い夫、良い父、良い友人

良い医師たるには、すべてを患者さんのために。
良い人たるには、すべてを周りの人のために。
良い夫たるには、すべてを妻のために。
良い父たるには、すべてを家族のために。
良い友人たるには、すべてを他の友人のために。
どれがいちばん重いのか。
最初から両立できないことがわかっている。

良い院長たるには、・・・・難しい。

2007/10/08

価値観の多様性を認めるということ

言うまでもないが、人それぞれが持っている「価値観」は様々である。
生まれ育った環境や関わってきた社会や人、
同じ人でも、年齢やその時の精神状態なんかでも変わってしまう。
ありふれた場面では、買い物でこれを買うかあれを買うか
大げさには、人生の岐路に立たされた時のAかBかの選択を迫られた時、
それを決める物差しになるのが、その人がもつ「価値観」である。

診療の場面で、患者さんに選択肢を示して「どうされますか?」と
問わなければならないことが多々あるのだが、どうもこれが苦手な方が多いようである。
日本人は特にそうなのかも知れない。
「おまかせ定食」「Aコース」「Bコース」。
我々、医者にも自分がそうだったらこういう治療を望むだろうなといった価値観が当然ある。
自分がこうして欲しいから他の人にもこうしてあげたい、
これはベターな倫理規範だと思うが、ベストではないと思う。
自分の価値観が他人に対して優越しているという傲慢さの現れであり、
価値観の押し付けになると私は思うからである。
「こういう治療の選択肢がありますけど、どうされますか?」と問われた時に、
控えめではっきり「AかBか」を答えられないのは、
彼女が大和撫子であるからだけでは決してなく、
やはりまだまだ、何が問題で何をどう判断すればいいのかよくわからないっていうのが本音なんだと思う。

たとえば、「子宮筋腫があり、手術が必要」これが私の中での結論であり、
私の医者としての「価値観」を元に判断した患者さんがいたとしよう。
でも、その中には、今まで自分が多くの子宮筋腫の患者さんを診てきたからこそ言える「基礎」みたいなものがあり、
それがこの価値観を構成する理由になっているからに他ならない。
自分が医学生から研修医に成りたてであった頃、
子宮筋腫という病気はこういう病気で、だんだんこうなっていくんだ、
だからこうなったら手術した方がいいんだなということが心の底から理解できるようになるまでには
2年も3年もかかったような気がする。
初診で来院された患者さんに対して、病気を告げられ動揺している中
5分や10分、子宮筋腫という病気をいくら説明したところで
それだけで手術を納得されるなどと言うことは決してありえないだろうし、
それが「インフォームドコンセント」などだと勘違いしている医者がいるとしたら、傲慢も甚だしいと自分は考えている。
ただ、そのためには、外来診療の時間は、余りにも短すぎる。
「インフォームドコンセント」を実行しているなどということを堂々と言えるためには
果たして本当はどれだけの時間が必要なのか、
そうすれば、かの大和撫子であっても、「私は、こうして欲しいんですけど」という選択肢が必ず見つかる。
医者の価値観との摺り合わせは、初めてここから始まるのである。
とにかく、質問攻めにする位の気概があっていい。
自分の身体に関することなのだから。

2007/10/07

妊娠・出産は安全なもの?

今さらな問いである。
この質問を肯定するなら、「ほとんどみんなが事故に遭わずに帰ってくるので車の運転は安全である」というものの発想に似ている。
ほとんどの出産が母児ともに問題なく終わる。これは間違いなく正しい。
終わってみなければわからない。「ほとんど」という修飾語、ここが問題なのである。
いくつかのハードルがある。
15%を超える流産、0.5%の子宮外妊娠、数百分の1の胞状奇胎を乗り越えて、勝ち取った正常妊娠。
その後、5%の早産、0.5〜1%の前置胎盤や胎盤早期剥離、3〜5%の骨盤位(逆子)を乗り越えてやっとたどり着いた妊娠10ヶ月。
数人に一人の前期破水、数人に一人の児頭回旋異常、急速墜娩が必要な臍帯巻絡や胎盤機能不全などによる胎児ジストレス。
助かれば幸運な突発的羊水塞栓、ほとんどに生じうる会陰裂傷、放置すれば生じうる産褥熱、
これとて抗生物質がなかった昔は「死の病」だったのである。
胎盤が剥がれない癒着胎盤、瞬く間に出血性ショックに陥るような弛緩性出血。
1%を超える新生児の先天異常、出生直後の呼吸障害、低血糖症。
書いていて、つくづくなんてネガティブな発想なのだろうといやになってくる。
しかも、これらは最初から何も合併症のない健康な方が妊娠した場合の話である。
産科の関係者でなければ、たとえ医療関係者であっても、こうした産科の「事実」などほとんどがご存じない。
マスコミの論調、まさにしかりである。
妊娠出産は自然現象、そう、人間が生きること自体「自然現象」なのだから、
この発想だと、がんも心筋梗塞もありとあらゆる病気も自然現象。
だから、何もしなくてもなどという発想は、とんでもないのである。
千人にひとり、何百人にひとりのがんを発見するために
各科の医師ががん検診に真剣に関わっているのはいったい何なんだということである。
終わってみなければわからない「異常がないお産」に産科医が関わるのをやめて、
産科医の不足をなんとかしろなどという暴論がどこからくるのか、
まったくもってナンセンスな話である。
陣痛が始まり、今、おなかの赤ちゃんが元気でも、決して大げさではなく、10分後も元気かどうかなど、誰もわからないのである。

よその話で恐縮だが、外科や整形外科では、交通事故に逢われた患者さんを治療している。
だが、外科医や整形外科医は、その方が事故に逢ったことやそのけがの内容自体にはまったく何の関与もしていないし責任もない。
来院した時の状態について、こうしていればこんなことにならなければ済んだなどということで責任を問われることはない。
コンマ何秒ずれていたら、とんでもないことになっていたかもという経験は、
何年もクルマの運転をしていたら誰でも1度や2度はあると思う。
そうなっていたら交通事故患者として病院のお世話になっていたはずだし、
そうではなかったからお世話にならずに済んだのである。

だが、「お産」は違う。
正常妊娠の方が予定日近くになって入院してきた時点では、
その方は病気ではないのである。陣痛ももちろん病気ではない。
言うなれば、その時はまだ、事故を起こしていない普通のドライバーである。
そこで何らかの異常(交通事故)を生じれば、ここからが医者の出番のはずである。
ともすれば、偶発的に生じた異常さえも、わずかに発見が遅れただけで、重大な結果を招くことがある。
産科医はこれらが修復不能な重大な異常になる前に、それを発見しなんとかしなければならないのである。
信号無視で重大事故が起きるなら、産科医の仕事は信号無視がないように見守るところから始まっているのである。
交通事故の患者さんに例えるなら、クルマに同乗し事故を発生させないところから仕事が始まっているとも言える。
交通死亡事故死者数と周産期死亡数を比較すれば、この意味がよくわかる。
桁が同じで何割もは違わない。交通事故死亡は男も女も大人も子供もすべてでの数字。
だが、周産期死亡は違う。出産に関わった女性と生まれてくる赤ちゃんだけでの数字なのである。
「救急車が足りないから事故を起こしそうなクルマに救急車が付いて走れ」という議論は、いい加減にしてもらいたいと思う。


2007/09/30

よろしくお願い申し上げます。

産婦人科の医者を長くやっていれば、ボヤキたくなることが多すぎる。

「Dr.Voyatzky(ぼやっきー)」こと、手取川クリニックの院長です。

手取川クリニックも、もうじき1周年を迎え、まだまだではありますが、
新しい多くの命の誕生のお手伝いをさせていただきました。
HPもなかなか手につかず、言いたいことが言えず悶々とした日々を送っておりましたが、
やっとここまでたどり着くことができました(手作りです)。
これから、この場を通じて、他では聞けない、書けない産婦人科医の本当の本音をさらけ出していこうと思っています。
まずは、ご挨拶です。
よろしくお願い申し上げます。 

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